概観(overview)

概要
リーマン・ショックは、2008年に発生した金融危機の中心的な出来事であり、アメリカのリーマン・ブラザーズという大手投資銀行の破綻を指します。
この出来事は、金融市場における信用不安と流動性の急激な低下を引き起こし、世界的な経済混乱を拡大させました。
リーマン・ブラザーズは、住宅ローン関連の不良債権を抱えており、これにより2008年9月15日に連邦倒産法第11章を申請し、破綻しました。
この破綻は、金融市場における信用の崩壊を引き起こし、多くの金融機関が相互に信頼しなくなりました。銀行同士の融資が停止し、市場の流動性が急速に減少する事態が発生しました。
この危機は世界中の金融市場に波及し、株価の暴落、企業の倒産、失業率の上昇など、多くの経済的影響をもたらしました。
政府は公的資金の注入や金融機関の救済策を実施し、金融市場の安定化を図りましたが、危機の深刻さは長期間にわたって影響を及ぼしました。
リーマン・ショックは、金融機関のリスク管理の不備や信用の過度な膨張など、様々な要因が組み合わさって引き起こされたものであり、その後の金融規制や経済政策に大きな影響を与えました。
この出来事は、世界経済における大きな転換点となり、金融市場の安定と持続可能な成長の重要性が再評価される契機となりました。
背景
リーマンショックの背景には、ITバブル崩壊以来積み上げられた過剰な金融緩和による住宅バブルが指摘されています。
特に住宅ローンの融資基準が著しく低いサブプライムローンの出現、そしてそのサブプライムローンを証券化した商品、不動産担保証券(MBS)や債務担保証券(CDO)など、多種多様な金融商品が生み出されました。
これらに信用格付け機関が「安全」の格付けが与えたことで、高利回りを求めて多くの金融機関がサブプライムローンの絡んだ金融商品を大量に保有することになります。
しかし、その後の住宅価格暴落でこれらの商品を保有していた金融機関の財務が悪化、破綻につながることとなりました。


事態推移①(パリバ・ショック)
リーマンショックに至る金融危機の最初の兆候がパリバ・ショックでした。
パリバ・ショックとは2007年8月9日、フランスのパリに本拠地を置く、世界規模の仏大手金融機関BNPパリバ傘下のミューチュアルファンドが「投資ファンドの解約を凍結する」と発表し、世界のマーケットが一時的にパニックに陥ったことを指します。
BNPパリバ傘下のミューチュアルファンドが保有していた住宅ローン証券の損失が大き過ぎたこと、また流動性に乏しかったことから換金が困難であると判断したことが解約凍結の要因でした。
この結果、サブプライムローン関連の証券化商品には買い手がつかなくなり、世界の金融市場が大きく動揺することになりました
事態推移②(ベアー・スターンズ救済)
翌年2008年5月30日、米財務省は財務上危機に陥っていた米第5位の証券会社ベアー・スターンズを、事実上公的資金を使ってJPモルガン・チェース銀行と合併させて救済しました。
このときには、まだ証券会社の資金繰りを支援する制度が無く、証券会社が連鎖的に資金繰り困難に陥る危険がありました。
JPモルガンが買収に提示した価格は1株あたり2ドル、2007年1月に付けた約170ドルから見るとまさに倒産価格です。
その後、価格があまりに低すぎるとの意見から提示価格は10ドルに引き上げられましたが、それでもバーゲンセールのような価格でした。
これで米財務省は、ベアー・スターンズ破綻による金融危機は避けられました。
しかしながら、安易な救済が相次げば、金融機関のモラルハザード(倫理の欠如)が強まり、国民の不満が爆発する恐れもあり、リーマン・ブラザーズの救済には動くことはできませんでした。


事態推移③(リーマン・ショック)
ベアー・スターンズが救済された後も、金融市場や商品市場などの資産価格に歯止めが掛からず、大小問わず証券会社の財務は大きく毀損していました。
中でも、米第4位の証券会社リーマン・ブラザーズは崖っぷちの様相を呈していました。
最終的に、FRB(米連邦準備制度理事会)や財務省を交えた民間金融機関との協議で、他の金融機関への身売りや出資の受け入れなどを模索してきましたが、不調に終わりることになります。
結局、リーマン・ブラザーズは自力再建を断念し、日本の民事再生法に相当する米国連邦破産法11条の適用を裁判所に申請、法的整理を余儀なくされました。
事態推移④(AIG救済)
15日のリーマン・ブラザーズの破綻は、金融市場に「カウンターパーティーリスク(取引相手の信用リスクのこと)」という新たな恐怖を植え付けました。
今や疑心暗鬼に陥った金融機関は取引相手の債務不履行リスクを恐れ、短期金融市場で「貸し渋り」を始め、頼みの綱は中銀のみとなっていました。
日米欧の中央銀行は大量の資金供給を続けましたが、FRBから資金供給を受けられないAIGのような保険会社やファンド勢のドルの資金繰りは急激に悪化していきます。
そこでリーマン・ブラザーズ破綻翌16日、米連邦準備制度理事会(FRB)は米保険最大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に最大850億ドル(約9兆円)のつなぎ融資を実施すると決定。
政府がAIG株の79・9%の購入権を得ることになり、同社は実質政府の管理下に入ることになりました。
AIGは「クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)」と呼ばれるデリバティブを使い、住宅ローンの証券化商品の元利払いを保証する取引を大規模に手掛けていました。
AIGが資金繰り破綻に陥れば、保証に頼る金融機関などの「破綻の連鎖」が止まらなくなる恐れがありましたので、米政府は必死の対応を行いました。


事態推移⑤(緊急経済安定化法案の成否)
最早、金融を安定させるためには政府の介入、不良債権問題への公的資金投入しかあり得ませんでしたが、モラルハザードと公的資金の規模の問題で議会は混迷します。
そして9月20日ようやく、米政府が公的資金による金融安定化法案を発表。
しかし、9月29日まさかのアメリカ合衆国下院が緊急経済安定化法案を否決。
「世界恐慌の再来」を世界が危惧する事態に陥り、世界中で株価が暴落しました。
その後10月に入り、緊急経済安定化法がアメリカ合衆国両院で可決されたものの金融市場の混乱は10月一杯続くことになりました。
影響
リーマンショックを中心とした世界的な金融危機は簡単に落ち着くものではありませんでしたが、主要国中央銀行の資金供給や政府の公的資金投入などから、時間と共に回復基調に向かいました。
しかしながら資産価格の大幅下落による価値毀損などから、金融機関の疲弊、経済の混乱、そして政府の公的資金投入による国家財政の悪化が問題となっていきます。
そしてこの問題が、次の欧州債務危機へつながることになりました。

日経平均チャート
経緯
日付 | 内容 |
---|---|
2007年7月9日 | 日経平均1万8261.98円(ITバブル後最高値) |
2007年8月9日 | 仏BNPパリバ傘下のミューチュアルファンドが資産凍結(パリバ・ショック) |
2007年9月14日 | 英中央銀行、ノーザン・ロックへ救済融資発表 |
2007年10月9日 | NYダウ平均株価が史上最高値1万4164.53ドル。 |
2008年3月16日 | JPモルガン・チェースが、経営危機に陥っていたベアー・スターンズの買収を発表 |
2008年5月30日 | JPモルガン・チェースがベアー・スターンズを救済合併 |
2008年9月7日 | 政府支援機関(GSE)のフレディマックとファニーメイがアメリカ政府の管理下になる |
2008年9月10日 | リーマン・ブラザーズの株価が、韓国産業銀行との出資交渉が決裂したことを契機に同月9日45%まで下落する |
2008年9月15日 | リーマン・ブラザーズが連邦倒産法第11章適用を申請し経営破綻。負債総額6130億ドル(約65兆円)(リーマン・ショック) |
2008年9月15日 | バンク・オブ・アメリカがメリルリンチを救済合併 |
2008年9月16日 | アメリカ政府とFRBが全米最大の保険会社AIGに850億ドルの融資を決定。アメリカ政府がAIGの株式の79.9%を取得し事実上の国有化 |
2008年9月20日 | 米政府、公的資金による金融安 定化法案を発表 |
2008年9月22日 | 三菱UFJフィナンシャル・グループがモルガン・スタンレーへ出資することを発表 |
2008年9月25日 | ワシントン・ミューチュアルが破綻。JPモルガン・チェースが事業買収 |
2008年9月29日 | アメリカ合衆国下院が緊急経済安定化法案を否決。「世界恐慌の再来」を世界が危惧する事態になる。 |
2008年9月29日 | 法案否決を受けてNYダウが史上最大の777ドル安となる。日経平均も暴落 |
2008年10月1日 | 緊急経済安定化法がアメリカ合衆国上院で可決(下院で否決された案とは多少異なる。下院での採決に向けた援護射撃であり、バラク・オバマ、ジョン・マケイン両大統領候補(上院議員)も賛成した) |
2008年10月3日 | 緊急経済安定化法がアメリカ合衆国下院でも可決し成立。アメリカ政府は7000億ドルの公的資金を投入して不良資産を買い取ることを決定 |
2008年10月7日 | 6日のNYSEでダウが1万ドル割れ(終値9955.50ドル)。円ドル相場一時100円台(中央値102円)。原油一時90ドル割れ。 |
2008年10月7日 | 7日の日経平均が4日連続続落、合計1200円。一時1万円割れ。(終値1万0155.90円) |
2008年10月7日 | 英大手銀行ロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)の株価が30%下落。ポンドも下落。 |
2008年10月8日 | 7日のNYダウはさらに暴落(終値9447.11ドル、-508.39ドル) |
2008年10月8日 | 日経平均が史上ワースト3位の暴落。前日比952.58円安(9203.32、-9.38%)を記録。為替は1ドル99円台に。 |
2008年10月8日 | 欧米主要6中銀が0.5%緊急協調利下げ(米FFレート1.5%、ECB3.75%)。 |
2008年10月9日 | ECBが過去最大規模の10兆円の資金緊急供給。 |
2008年10月9日 | ニューシティ・レジデンス投資法人が東証上場REITとして初の破綻。負債1123億円。個人投資家8600人へ影響。 |
2008年10月9日 | 8日のNYダウが再び暴落、終値8579.19ドル(-678.91ドル、-7.3%)。GMの欧州での販売不振よりS&P格下げの可能性から経営不安が広がり、実体経済への影響を懸念した。 |
2008年10月10日 | 積極投資で知られていた中堅保険会社大和生命保険が経営破綻[29]。債務超過114億円、負債2695億円。 |
2008年10月10日 | 日経平均が暴落。終値は前日比881.06円安(-9.62%、過去3番目)の8276円(5年5ヶ月ぶり)。欧米ヘッジファンドの換金売りと言われるが、日本国内からのドル売りも考えられる。日経平均先物にはサーキットブレーカーが発動。アジア株も大幅下落。円高一時97円。東京株式市場時価総額268兆円、1年前530兆円のほぼ半額。 |
2008年10月10日 | ロンドン、パリ、フランクフルト、ロシアの株式約10%下落。 |
2008年10月11日 | 先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)をワシントンで開催。5項目の行動計画を発表。 |
2008年10月13日 | 日米欧5中銀はドル資金を無制限供給すると発表(担保が必要)。 |
2008年10月13日 | 独仏が合計8600億ユーロ(約100兆円)を金融支援に投入すると発表。 |
2008年10月13日 | NYダウ始値8462.42ドル、終値9387.61ドル(+936.42は同日時点で過去最大、+11.08%)。 |
2008年10月14日 | 日経平均が過去最大の上昇9447.57円(+1171.14円、+14.15%)、TOPIX956.30(+115.44)(13日は休日)。 |
2008年10月16日 | バーナンキFRB議長が「金融市場が安定したとしても景気回復には時間がかかる」と発言。株価急落の原因の一つとされる。 |
2008年10月16日 | 景気後退懸念から急落。NYダウ 8577.91ドル(-733.08ドル、-7.87%)、英FTSE 4079.59(-314.62、-7.16%)、他独DAX -6.5%、西IBEX35 -5.1%、仏CAC40 -6.8%。 |
2008年10月16日 | 日経平均暴落、8458.45円(-1089.02円、-11.41%。ブラックマンデー以来2番目)。 |
2008年10月27日 | 日経平均の終値が7162.90円となり、バブル崩壊後最安値を更新。 |
2008年11月4日 | アメリカ大統領選挙で民主党のバラク・オバマが勝利。 |
2008年12月11日 | バーナード・L・マドフ(ナスダック元会長)、巨額投資詐欺の容疑で逮捕。被害総額は500億ドル超と見られる。 |
参考サイト


