概観(overview)

概要
南海泡沫事件(South Sea Bubble)は、1720年にグレートブリテン王国(イギリス)で起こった、投機ブームによる株価の急騰と暴落、およびそれに続く混乱を指す。バブル経済の語源になった事件です。
1720年、南海会社は政府の債務を引き受ける代わりに、南米との貿易の独占権を与えられるという形で設立されました。
その後、実際の貿易利益は期待外れとなり、会社は破綻を避けるため株と国債を使った金融スキームによる実体のない利益を誇張し、株価は投機的な急騰を示しました。
しかし、利益は実態に基づかないものであったため、やがてバブルが崩壊し、株価は急落、多くの投資家が破産しました。
背景
1711年、南海会社は当時危機的状況にあったイギリス財政を立て直すべくトーリー党の指導者で大蔵卿ロバート・ハーレーによって創設されました。
イギリスの財政状況は歳出のうち債務の返済・利払いと軍事費でその9割以上を占めるほどに逼迫しており、南海会社はイギリス国債を引き受ける代わりに、南アメリカ大陸とイギリスとの貿易、特にアフリカの奴隷をスペイン領西インド諸島に輸送し、その利益を独占的に得ることとなりました。
しかしながら、南海会社の貿易事業は1718年スペインとの間で戦争(四カ国同盟戦争)が始まったこと等から思ったような利益を上げることができなくなります。
一方、同時期に南海会社が試験的に導入した「富くじ債」が成功をおさめたことなどから、南海会社は貿易会社から金融会社へと事業転換していきました。



南海会社株バブルと崩壊
1719年、南海会社は巨額の公債引き受けの見返りに、国債の額面と等価の南海会社株を時価で発行する許可を得ます。いわゆる政府の債務削減策「南海計画」の始まりです。
この債務削減スキームを成功させるため、南海会社が株式を新規発行する際には、投資家に対して分割払いや借り入れ(レバレッジ)などの支払いオプションを提供し、50%もの非常に高い配当を10年間払い続けることまでも保証することで、投資家から大量の資金を集めることに成功します。
南海会社の株価は短期間で高騰し、1720年1月に125ポンドであった株価は、わずか半年後の6月24日には最高値1050ポンドまで高騰しました。
当時、第二の南海会社を目指し、投資家から資金を集めるだけの実体のない企業が乱立し、1719年から1720年のわずか1年間でおよそ190社が無許可で設立、およそ3億ポンドもの資金を集めたとされます。
当然、実体のない企業であったことから、資金を集め終わると経営者は会社を畳んで行方をくらました。設立された約190社のうち、1年後も存続していた企業はわずか4社であったそうです。
人々は、こうした泡のように消えゆく企業をいつしか「泡沫企業」と呼ぶようになり「バブル」という言葉の起源となりました。
バブル形成の背景でもあった、無許可で設立された企業の乱立を規制する「泡沫(会社)禁止法(Bubble Act of 1720)」が1720年6月に議会で成立したことを契機に、膨張したバブルはわずか数カ月であっけなく破裂します。
投資家の多くは資金のほとんどを失い、スキームで用意された借り入れを用いて株を購入していた投資家たちは破産に追い込まれました。
この事件では、万有引力の発見で有名な偉人ニュートンも被害に遭っています。
王立造幣局長官を務めていたアイザック・ニュートンは南海会社の株で一時7,000ポンド儲けたものの、その後の暴落で結果として20,000ポンド(約4.4億円相当※)の損害を被ったそうです。
このときニュートンは『天体の動きなら計算できるが、人々の狂気までは計算できなかった』と述べたと言われています。
※1720年の20,000ポンドは現在の£2,322,150.00に相当(Currency converter: 1270–2017より)
£2,322,150.00はGBP / JPY 191.2200(2024/8/28)として日本円で約4億4400万円
影響(会計監査制度の誕生)
南海バブル崩壊の結果、株を購入した人達の中から多くの破産者・自殺者が出ました。
また、南海株が政治家の賄賂等に使われたこともあって、この問題は社会問題となり調査が開始されます。
その結果、南海会社の会計記録を詳しく調査したものが世界で最初の会計監査報告書となりました。
この南海バブルは、資本市場にとって企業の公正な第三者による会計記録の評価が不可欠であることを示し、公認会計士制度及び会計監査制度を誕生させることになります。

経緯
日付 | 内容 |
---|---|
1711年 | 南海株式会社(The South Sea Company)という特権会社を設立 |
1718年 | 南海株式会社が富くじを発行 |
1719年 | 南海会社が巨額の公債引き受けの見返りに額面等価の南海会社株を発行する許可を得る |
1718〜1720年 | スペインと四国同盟(オーストリア、イギリス、フランス、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の4か国)が戦争[四カ国同盟戦争] |
1720年6月24日 | 南海会社の1株あたりの価格が最高値1050ポンドをつける |
1720年6月24日 | 「泡沫会社規制法」が発布、8月24日には「告知令状」 |
参考サイト



