概観(overview)

概要
チューリップバブル(英: tulip mania)とは、1636年〜1637年オランダにおいてチューリップ球根の価格が異常に高騰し、突然に暴落した現象を指します。
ピーク時には、チューリップ球根1個当たり、職人の年収の10倍以上の価格で販売されるものもあったと言われています。
また、チューリップ・バブルは、記録に残された最初の投機バブルとして資産価値を伴わない資産の価格急騰の比喩に用いられることも多いです。
しかし現代の研究においては、実際はバブルというようなものではなかったという主張もあり、投機を諌める寓話的な側面もあると考えられています。
背景
ネーデルラント連邦共和国は1602年、オランダ東インド会社を設立してアジアに進出、オランダ・ポルトガル戦争(1580年からスペインと同君連合)(1602年 – 1663年)で香辛料貿易を奪取して、世界の海に覇を唱えました。
このため貿易の富がアムステルダムに流入、17世紀の共和国はオランダ黄金時代を迎え、オランダの歴史において貿易、科学、軍事、オランダ芸術が世界中で最も賞賛された期間となります。
チューリップバブルはこのような経済の絶頂期に現れ、突然破裂することになりました。


チューリップバブル
チューリップは、他の植物にはない鮮烈な色味あふれる花弁をもつことから、オランダ黄金時代においてステータスシンボルとなり、誰もが欲しがる贅沢品として人気が高まり品種が豊富になりました。
また、チューリップは、球根にウイルスが感染することによって、突然変異しやすく、そのため美しい模様が入った花を付けることがあって、このようなチューリップは特に高値で取り引きされるようになっていきます、
やがてそれらの球根は転売益を目当てに買う人々の影響で価格が急騰します。
しかしこれは球根を高値で買い求める人物が現れ続けない限り持続不可能で、1637年2月、チューリップの取引市場において買い手が定期的な球根の取引に現れなくなったことから(ペストの流行が原因?)、チューリップに対する需要は崩壊、価格は暴落、チューリップの投機バブルは破裂しました。
影響
チューリップ・バブルの崩壊は球根に対するバブルであり、金融制度を根底から揺るがすような崩壊ではありませんでした。また、短期間で終焉したため金融経済への影響はあまり見られませんでした。
しかしながら、「チューリップ・バブル」という語は、資産価値を伴わない価格急騰の最初の例として、1世紀後の1720年代、ミシシッピ計画の破綻や南海泡沫事件、また現代でも平成バブル、ITバブルにおいても比喩として度々用いられることとなります。
2013年11月には、オランダ銀行の元総裁であるナウト・ウェリンクが、ビットコインを評して「チューリップ・バブルよりなお悪い」とし、「(チューリップ・バブルでは)最悪でもチューリップは手に入るが、(ビットコインでは)何も手に入らない」と話しています。

経緯
日付 | 内容 |
---|---|
1568年〜1648年 | オランダ独立戦争(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む) |
1602年 | 世界初の株式会社といわれているオランダ東インド会社が設立 |
1602年 | 世界で最古の証券取引所であると考えられているアムステルダム証券取引所が設立 |
1636年〜1637年 | チューリップ・バブル |
1841年 | チャールズ・マッケイ『狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか』出版 |
参考サイト




