概観(overview)
ガスマスクを着用し塹壕に隠れるオーストラリア兵。イーペル、1917年。
第一次世界大戦
第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国と中央同盟国間で戦われた世界規模の戦争である。
戦争の引き金となったのは1914年6月28日、セルビアの青年ガヴリロ・プリンツィプが、サラエヴォへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺した事件(サラエヴォ事件)だった。
その後、戦争は全世界の経済大国を巻き込み、それらを連合国(ロシア帝国、フランス第三共和政、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の三国協商に基づく)と中央同盟国(主にドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国)の両陣営に二分した。
諸国が参戦するにつれて両陣営の同盟関係は拡大されていき、イギリスと同盟を結んでいた大日本帝国は連合国として、ドイツと同盟を結んでいたオスマン帝国は中央同盟国側について参戦、その後、アメリカがドイツに宣戦布告し連合国として参戦。
戦争終結前後にはロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国などのいくつかの帝国が革命等により消滅した。
最終的には、中央同盟国の中心であったドイツにも革命が起こったため、1918年11月11日休戦協定を締結し、戦争は連合国の勝利となった。
1919年のパリ講和会議においては「五大国」(イギリス、フランス、イタリア、日本、アメリカ)が会議を主導し、一連の講和条約を敗戦国に押し付け、敗戦国の領土を分割した。
スペイン風邪
スペインかぜは、一般的に1918年から1920年にかけ全世界的に大流行したH1N1亜型インフルエンザの通称。
初期にスペインから感染拡大の情報がもたらされたため、この名で呼ばれている。
全世界で5億人が感染したとされ、 世界人口(18億-19億)のおよそ27%(とされており、死亡者数は1億人を超えていたと推定されており、人類史上最も死者を出したパンデミックのひとつである。
第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトなどで最初に流行したと言われ、アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、当時中立国のスペインを中心に5月から6月にヨーロッパで流行。
第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり死者が急増。
第3波は1919年1月から欧米を皮切りに世界で流行。
その後、欧米では夏に終息する。
患者で溢れる病院(Walter Reed Hospital, Washington, D.C)のインフルエンザ病棟。1918 – 1919
戦時公債への投資を奨励する英国のポスター
1900年に発行された日本の紙幣。兌換紙幣であり、金と交換可能なことが明記されている。
第一次世界大戦と金本位制
1914年の第一次世界大戦が始まると、イギリスなどヨーロッパ諸国はアメリカからの武器輸入のため金の流出が急増したため、金本位制を一時停止し、金の輸出を禁止した。
1917年にはアメリカと日本も金輸出を禁止した。
大戦の終結後、戦後経済の復興にともない、各国は金の輸出を自由化して金本位制に戻す、いわゆる「金解禁」をすすめた。
アメリカはいち早く1919年に金輸出を解禁し、イギリスは1925年に金解禁を行った(金本位制に復帰)。
金本位制に復帰したことよって各国の通貨は金との等価関係にあることとなり、相互に交換が自由に行われることが保障されていた。
しかし、この時、イギリスは国家的威信にこだわり、旧平価(大戦前のレートである1ポンド=4.86ドル)で金本位制に復したため、イギリスの繊維・機械・石炭と言った伝統産業がすでに衰退して国際競争力を失っているという現実に合わず、輸出が減少したため貿易収支が悪化し、資金がアメリカに移動してしまった。
一方、アメリカは金融緩和を進めたことと相俟って世界中の資本がアメリカに過度に集中し、アメリカの株式市場が暴走する遠因となった。
日本も1930年に金解禁に踏み切った(金本位制となること)が、やはり旧平価での解禁であったため、金の流出がおきて失敗した。しかもすでに前年、世界恐慌が始まっていた。
米国経済と株価への影響
第一次世界大戦とスペイン風邪はともに米国経済に大きな影響を与えたと考えられる。
第一次世界大戦開戦初期、1914年末から1915年末までは、米国において物価上昇が見られず、遠くの戦争であった時期は株価上昇が顕著であった。
しかしながら、米国CPI消費者物価指数を見ると、第一次世界大戦が拡大してきた1915年末頃からCPIが上昇し始めた。
それに伴い、株価は高原状態のままボックスで推移する。
1916年末、CPIが10%を超え、さらに上昇すると株価は下落トレンドに変化する。
1917年4月、アメリカがドイツに宣戦布告し、戦争に参戦すると、高インフレ下の中、株価は上昇に転じる。
その後、スペイン風邪の影響や金本位制離脱の影響もあってか、1920年半ばまで、CPIは20%前後で高止まりする。
1919年末、株価は高値を更新した後、スペイン風邪の終息とともに下落トレンドに。
CPIは1920年半ばから急速に低下し、1921年初めにはマイナスに、株価もそれに連れて大幅下落となる。
チャート
1920年代の米国金利
1920年代、現在のような「FFレート(フェデラル・ファンド金利)」は連邦準備制度(Fed)の公式な政策操作目標(誘導目標)ではありませんでした。FF市場自体は1920年代にニューヨークで誕生しましたが、当時の金融政策の主軸は「公定歩合(Discount Rate)」とオープン・マーケット・オペレーション(公開市場操作)にありました。
1. 公定歩合の推移(主要な政策手段)
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1920年代初頭(戦後インフレ対応):
第1次世界大戦後のインフレを抑制するため、ニューヨーク連邦準備銀行は1919年末から利上げを開始し、1920年6月には当時の最高水準である7%まで引き上げられました。 -
1920年代半ば(安定期):
1921年以降、不況に伴い金利は引き下げられ、1922年中盤には4%台まで低下しました。1924年や1927年の景気後退期にも緩和的な政策(金利引き下げ)が実施されました。 -
1920年代後半(投機抑制):
株式市場の過熱(バブル)を抑えるため、1928年から再び利上げが実施され、1929年初頭には株式市場への貸出を制限する措置も取られました。
2. FFレートの成立と実態
- ■ FF市場の誕生
- 1921年頃、ニューヨークの銀行間で準備金の過不足を融通し合う市場として誕生しました。
- ■ 当時の金利水準
- 1928年4月から1954年までの日次FFレートを復元した研究によると、1920年代後半のFFレートは、おおむね公定歩合に近い水準、あるいはそれ以下で推移していましたが、当時の短期市場では「コールローン金利」がより注目されていました。
- ■ 取引規模
- 1921年には1日平均2,000万ドル未満だった取引量が、1925年以降は1億ドル以上に急拡大しました。
3. 歴史的背景
1920年代のFedは、金本位制の維持と国内の景気安定(物価安定)のバランスを取る「裁量的金融政策」を模索していた時期であり、1929年の大恐慌直前の利上げ判断については、現代でも経済学者の間で議論の対象となっています。
出典・リファレンス
1. 連邦準備制度の歴史と政策の変遷
- The Fed’s Formative Years (Federal Reserve History):1920年代の公定歩合の推移や金融緩和の経緯が詳細に記されています。
2. 1920年代のFFレートの復元データ
- A New Daily Federal Funds Rate Series and History of the Federal Funds Market (Federal Reserve Board):公式統計以前(1928年〜)のFFレートを復元した研究論文です。
3. 歴史的金利統計のアーカイブ(FRASER)
- Interest Rates, 1914-1965 (St. Louis Fed / FRASER)
- Annual Report of the Federal Reserve Board (1921)
4. 国内の解説資料
経緯
| 日付 | 内容 |
|---|---|
| 1913年12月23日 | アメリカ合衆国の中央銀行制度である連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board, FRB)が設立。 |
| 1914年7月28日 | オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が勃発。 |
| 1914年8月1日 | ドイツがロシアに宣戦布告。 |
| 1914年8月4日 | イギリスがドイツに宣戦布告。 |
| 1914年8月24日 | 日本が、同盟国のイギリスからの後押しもあり、ドイツに宣戦布告し、戦争に参戦。 |
| 1917年4月6日 | アメリカがドイツに宣戦布告し、戦争に参戦。 |
| 1918年1月 | スペイン風邪が初めて報告される。(第一波) |
| 1918年9月 | スペイン風邪が急速に広まり始め、兵士や一般市民の間で感染が拡大。 |
| 1918年秋から冬 | スペイン風邪の流行がピークに達し、死者が急増。(第二波) |
| 1918年11月11日 | ドイツが休戦協定に調印し、第一次世界大戦終結。 |
| 1919年1月18日 | パリ講和会議が開催される。 |
| 1919年1月-6月 | 欧米を皮切りに再度スペイン風邪の被害が拡大。(第三波) |
| 1919年6月28日 | パリ講和会議でヴェルサイユ条約が調印される。 |
| 1919年夏 | 欧米でのスペイン風邪の流行が終息し、各地で復興のプロセスが始まる。 |
参考サイト







NYダウの推移(1914-1925)
アメリカのCPI総合 消費者物価指数(月別/1914~1925)の前年同月比の推移(月次)

